日本人とユダヤ人の風習などの共通点について写真を交えながら解説しているHPを見つけました。 http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb010.html#top
皆さんは、上記の記事を読んでどのように思われますか?エリ・コーヘン旧駐日大使も、これらのことを知り、実際に日本の各地を回っています。そして本にして出版しています。また、ユダヤ人のDNAが世界のどの地域にどのように分布し点在しているかを調査している事実も、大使に確認する機会を得ることもできました。冒頭の伊勢神宮の石碑の写真は、意図的に設置されたものと聞いています。日ユ同祖論なるものがありますが、古代ユダヤ人のDNAを引き継ぐ日本人がいることは事実でしょう。
旧日田市内にも、秦氏の名前・苗字を引き継ぐ地域が残っています。地名もそれらしき地名が残っています。そうした目で見ると、その地域の人の顔もそのように見えてきます。
ハイチで地震が、M7.0です。(現地時間12日夕方、日本時間13日朝)
被災者は、国民の3割で数千人が瓦礫の下敷きになっていると報じられています。
最貧国で政情不安、緊急国際支援が必要です。
18世紀半ば以降、大地震のなかったところで起こると、
HAARPとの関連を思い浮かべてしまいます。
それよりも、被害の大きさが頭に浮かびます。
耐震構造なんてものも考えていないでしょう。
大統領府がペシャンコですから。
悲惨な映像が飛び込んできます。
中国の四川省での地震も大変でした。
東海南海沖地震がもし発生したら、・・・・・・・・・・。
HAARPの陰謀説を一笑に付すことはできますが、・・・・・・・。
実際はどうなんでしょう?
日頃、想定されてないところでの大地震。
起こってみてプレートがとの解説。
プレートでの解説ができるなら、想定も可能でしょうに・・・・。
毎日jpでは、阪神淡路大震災と同じ型の地震とのこと。震源の深さ、横ズレ断層・・・http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20100114k0000m030087000c.html?inb=yt
seesaaブログに・・・http://kunsan.seesaa.net/article/138226893.html?1263394909
疑うことから始まります・・・http://search.yahoo.co.jp/search?p=haarp%E3%81%A8%E5%9C%B0%E9%9C%87&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=
JAL123便が御巣鷹山に墜落して24年が経ちます。あの日は、先輩の薬局から帰ろうとしたところに、テレビの画面に旅客機が行方不明にテロップが流れ、それからしばらくテレビの前に釘付けに。この事故について多くの報道がなされています。ここにも不思議な点に付いての検証が。(→http://neko-usa.s22.xrea.com/jal123/jal_frame.html)事故後10年がたって読売新聞にあの時の記事が出ました。米軍の退役軍人が10年間の秘守義務期間が解けて、あの夜に墜落現場の上空に到着していた事実を発表しました。
当時は、墜落現場の特定にずい分時間がかかりましたが、米軍は早々に現場に到着していたのです。その時から救助にかかっていたら多くの人が助かったでしょう。また、現場に派遣された自衛隊員からも、「墜落現場は把握されていた。暗闇でも行動できるように我々は訓練を受けいている。現場に行かせてくれと言ったが、聞き入れてもらえなかった。」という話を直接聞いた事があります。
///////日本航空123便墜落事件ーウィキペギアからー
墜落機の飛行状況は、在日米軍も把握していた。テレビで放送された録音テープによれば、横田基地の管制官は迷走飛行中の123便に対して繰り返し呼びかけていた。
墜落場所も早い段階で把握していたとされており、迷走飛行している123便の近くを偶然飛行していたアメリカ空軍のC-130輸送機のパイロットが、日本語による管制が長く続いていることと、横田基地から民間機への呼びかけが繰り返されていることで異変を察知。急遽飛行ルートを変更し123便を追尾した結果、墜落から約1時間後に墜落現場付近上空に到着、詳細な現場の位置を測定する。
その後、米海軍厚木基地から暗視カメラを搭載している救助ヘリコプターが現場に急行。墜落から僅か2時間で救助態勢が整っていたが、救助のためにヘリから隊員を降ろそうとしたとき、基地の当直将校からすぐ基地に帰還するよう命令された。事故直後には生存者がまだ多数存在したため、これによって犠牲者が増えた。
出典不明であるが、日本の事故に対する米軍の救出活動の参加には日本政府の許可が必要であったため、米軍は日本政府に支援を打診、政府は警察庁に連絡したが不要とされたと言われているという情報がある。国内の事故に対する米軍の救出活動への参加と政府の迅速な判断に課題を残した。
警察庁上層部が米軍の協力を拒んだ理由は明らかになっていないが、理由はメンツとも、国内の事故に指揮命令系統が違う米軍が介入することで現場に混乱をきたすことを避けたとも言われた等、諸説ある[要出典]。
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プラザ合意との関連で話をする人もいますが、真実は何処にあるのでしょうか。
航空機事故といえば、大韓航空007便の事件も不思議な事件でした。それを裏付ける話を、現場取材した新聞記者から聞く事もできました。
犠牲になった方々、遺族の方々のことを思うと・・・・・・・・・。
ご冥福をお祈りいたします。
・・・・・メールより転載・・・・・・
久しぶりに、「時事」を東京で話しました。歴史の研究を2年以上したあとなので、参加者の関心レベルは、単に国家や世界を通り超えて、すべてに本質をもとめ、「銀河系」の水準にあります。
もちろん、スピリチュアル系の妄想に対しては、厳しい態度を持っています。
私は、サブプライム後の世界経済の構造変換は、戦後のアメリカ覇権での仕組みの終焉というよりも、明治維新以来の「工業化での国つくり」のやり方そのものが、日本では、限界に来ている、と話しました。
そして、現在のサブプラ破綻後の世界経済の変革ですが、新規のシステムが生まれるのを阻害している最大の要因は、
実は、日本人自身の側にあること を話しました。アメリカは今、失業者が10%を超え、国内経済建て直しのために、実はドル安を、願っています。
それをさせないのは、 最適工業大国になった日本です。 ここが、官僚・財界・労働界・宗教界によるマトリックスが阻んでいます。
3) 日本の戦後の仕組みは、実は、1944年のブレトンウッズ会議のときに決まっていました。 この会議は、単なる連合国の会議ではありません。 昭和天皇の意向を完全に無視して、計画的な暴走を続けた日本の陸軍が、中国沿岸部の主な都市を占拠している中、 原爆が落とされる一年以上前に、工業化での戦後復興の筋書きと、そのための資金が用意されていたのです。
現在の国際政治と世界経済の流れ・本質を見極めるには、日本の天皇家とバチカンの出発と、その発展史を正確に知る必要があります。
この前の戦争では、1931年9月に、石原莞爾が板垣征四郎と満州事変を起こしたのが始まりです。しかし、実際に満州を占領すると、共和制を考える石原は外され、陸軍は、天津に隠居していたラストエンペラー溥儀を担いで満州国を建国しますが、これが、リットン調査団に否定されてしまいます。
その直後のジュネーブの国際連盟会議で、日本は脱退を宣言します。そこでの主役は、拡大志向の陸軍に押された松岡洋祐で、彼は日本の立場を「ナザレのイエス」と同じように受け止める演説をしますが、その傍らには石原莞爾がいました。石原は、第一次大戦後のドイツに駐在武官として滞在していました。
4) この国際連盟脱退により、英米との戦いが不可避の方向になることが決定すると、この直後、現在に至るも、日本の政治にも影響を残す重要な人物が、イタリアに単身、飛びました。笹川良一です。
笹川は、ムッソリーニに会見し、バチカンを独立国にするように要請し、以後、四谷にある日本の上智大学が、バチカン大使館の機能を果たします。上智大学は、バチカン=カトリックの先鋭部隊イエズス会が作った大学です。こうした中で、1936年2月26日に、「二二六事件」が起きます。」
笹川良一が、イタリアに飛んだのは、1939年で、226事件の後 でした。このときには、すでに、日本は、三国同盟の締結の方向が固まっていました。
となると、笹川は、バチカンを独立させたのではなく、(これは、ラテラノ条約で、1929年の2月11日に達成しています)、日本政府の首脳がバチカンを使って、ある戦略をするための、密使だったと考えられます。
しかも、この人物は、太平洋戦争の最終場面でも重大な仕事をします。自ら進んでA級戦犯であると名乗りをあげ、巣鴨プリズンに入ります。これは、必ず出所できると踏んでから、占領軍の懐に飛び込み、そこで捕らえられている、板垣・土肥原・東條らから、直接、国家秘密を知り、私的な依頼をうけます。 そして、彼は、児玉誉志夫、岸信介と一緒に、出所します。そこから戦後が始まっています。
私たちは、 この3人が、なぜ、出所できたのか? その理由を知りません。
また、巣鴨では、何が、引き継がれたのか? まったく知らされていません。
日本の戦後の情報空間や政治環境は、 こうした誰かが書いたマトリックスの上に築かれ、その中で、多くの日本人は銭金だけを追いかけていたのです。
いや、その戦争の前の、日本国家自体も、明治政府が作り出したマトリックスに日本国民を強引に閉じ込めていたのです。 明治政府は、アジアの盟主を目指し、天皇に新たな意味合いをつけたものの、天皇の存在については、 その成立や機能については、実証的、自然科学的考察の成果を、ごく少数の人間たちの了解事項にして秘匿し、国民には、そこに立ち入ることは、まかりならんとして、徹底的に排除してきたのです。
今の、日本の神社界の人間の多くは、いまだに、この中に、遊んでいます。
イエスが嫌った、パリサイ人と同じ精神性にいることに気がついていません。
今、 アメリカが、壊れました。
日本の自衛隊が求めたF22戦闘機も供給されません。
これは、完全に、戦後世界が壊れている姿です。
そして、 戦後、アメリカに占領されているのをいいことに、日本国内に、好き勝手に利権を作ってきた、根性の曲がった人たちが、《神の裁き》を受けるのは、これからです。
自民党の分解は、アメリカ代官所の分解です。
で、問題。
それでは、民主党に、次を 作れるか?
戦後のマトリックスから始まって、明治に再構築された「天皇」マトリックスを脱出できれば可能ですが。
今は、《膿だし》で、十分です。
あと、これは、サービス。
スサノオの起源は、古代バビロニアのマルドク。
日本語の「愛」は、 アッシリアの言葉。
「YAMATO(ヤマト)」は、 ヘブライ語で、神の使命、そして 救済。
大分県日田市は、筑後川の水源の町です。
九州最大の稲作地域、筑紫平野に豊富な水を供給し続けます。
佐賀吉野ヶ里の水も、ここから供給されます。
ここが、倭国の始まりの地です。
すでに本欄で指摘していますが、この日田の地から、卑弥呼の時代の、とんでもない鏡が出土しています。
それも、魏志倭人伝が伝えるような、単なる銅鏡ではありません。
金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)と呼ばれる、豪華な装飾が施された、鉄の鏡で、中華皇帝から直々に下賜されたものです。
この現物の復元コピーと、製造当時の全体図CGが出来上ったと、日田市議の川崎さんから、連絡をいただきました。
http://www.youtube.com/watch?v=OOT4kyggvfw
年代的には、この鉄鏡の製造時期から、少し後くらいに、奈良では、弥生の唐古鍵遺跡のすぐ近くに、箸墓古墳が建造されています。
なぜ、これほど見事な鏡、それも、絶対に複製できない鉄の鏡が、どこかの神社にも全く伝世されず、日田で惨たらしく、放置され、埋もれたままになっていたのでしょうか?
そして、奈良との関係は、どうなっているのでしょうか?
そこにきっと、日本史の《国譲り》の真実が、隠されています。
その本当の理由を、日田の名家・広瀬家の人間は知っていたはずです。
この鏡は、間違いなく、倭国が中華皇帝から冊封された、その印そのものです。
その冊封から如何に脱却するか、それが、古代日本の最大のテーマでした。
持統が、伊勢神宮を作ったときには、倭国自体が冊封されていた事実を消して、皇祖神アマテラスは、太古からこの島国にいたと、政治的に強弁したのです。
伊勢神宮にあるとされる、三種の神器の一つの《ヤタの鏡》。
歴史研究家の多くは、本人が見たこともないのに、ヘブライ文字が書かれている、とまことしやかにいいますが、そうであれば、それは、持統時代に、作られたものでしょう。
また、天武に祟ったという《草薙の剣》も、同様でしょう。
ともに、記紀神話と同時に、政治的に、創作されたものでしょう。
これと同じような話が、長野善光寺のご本尊です。
いまでも、絶対秘仏といわれ続けますが、そんなものは ありません。
ないから、見せられない。これだけです。
御開帳で見せていたのは、平安時代終わりにできた前立観音像。
冷静に考えれば、子供だましにすぎません。
しかし、国家権力が強弁すれば、民衆は従いますし、その民衆の純粋な、祈りと信仰のこころが、その像に魂を入れます。
その純粋な、祈りと信仰をもたらすもの、それこそは、日本独自の、縄文の精神性を湛える、勾玉(の共振機能) と考えます。