先日、国東半島に行きましたが「天皇家と日本民族のルーツ」を見ていたら、国東半島の猪群山の事が出ていました。その山にある神社では雨乞いの儀式に「蛇」を使用し、山上には巨石群(ストーンサークル?)があるとのこと。近辺にも幾つかのストーンサークルがあるのを知っていますが、この山の事は、初めて知りました。勿論、神社の事も。
目を引いたのは「蛇」についての記述です。古代ユダヤの話をする時には、「蛇」と「牛」に係わる話が出てきます。「祇園」の家紋の一つ、「祇園守り紋」にも「蛇」が描かれています。その「祇園守り紋」は、「柳川藩の家紋」と共通です。
今度、国東に足を運ぶ機会があったら猪群山の神社と巨石群を目指して見たいと思います。
猪群山 http://oitamt.web.infoseek.co.jp/nearmtinomureyama.html
猪群山は卑弥呼の墓 http://www.youtube.com/watch?v=v39TepUWnkM
日田出土の金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は、卑弥呼の鏡? http://www.youtube.com/watch?v=_mFcPEUJsro&feature=related
日本の神道はヘブライ起源
http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb010.html
http://www5.ocn.ne.jp/~magi9/isracame.htm
「天皇家と日本民族のルーツは、」から引用
38 :世界@名無史さん:2008/09/07(日) 14:01:28 0
『銅の蛇』
イスラエル人がエジプト脱出後、荒野を彷徨しいてた時、多数の民が蛇に噛まれ、死傷するという事件があった。そこでモーセは、民を救うために、神の命令に従って「銅の蛇」を作り、
それを柱に取り付けた。蛇に噛まれた者がそれを見れば、その者は命拾いした(民数記21:9)。
この事件の後、この「銅の蛇」は、イスラエル人の中で保管された。
そして、後になってイスラエル人が堕落したとき、その「銅の蛇」は、偶像として崇拝されるようになった。それで、南ユダ王国のヒゼキア王は、前8世紀に、偶像崇拝を絶やすために、 その像を破壊した。聖書は、「ヒゼキア王は、かつてモーセが作った銅の蛇を粉々にした。
イスラエル人がそれに香を焚いていたからである」と記録している(列王下18:4)。
実は、この破壊よりも前の前722年に、イスラエルの十部族はアッシリアに流刑に処されている。
それで、十部族は流刑時にも、この「銅の蛇」崇拝の慣習を保持していたと思われる。
さて、大分県の猪群山の上にある神社では、40年前まで、ユニークな雨乞いの儀式が行なわれ
ていた。その雨乞い儀式では、まず、6本の木の幹が組まれて、ダビデの紋章の形の土台(祭壇)
が作られた。それから、その土台の上に、木の枝が積み重ねられて、塔が建てられた。そして、
その木の枝の塔のてっぺんに、蛇の抜け殻を絡ませた、垂直な棒が立てられた。人々は、その木の枝の塔を燃やし、雨乞いの祈りを捧げた。また、その蛇に香を捧げ、超自然的な力を求めた。
日本の神社で崇められている神のいくつかは、蛇であるという。
ここには、古代イスラエルとの何らかの関係があるのではないか?
http://www5.ocn.ne.jp/~magi9/isracam3.htm