« アスベスト被害は、まだある。  2007.12.13 | メイン | 大分キヤノンマテリアル㈱日田事業所の採用に関して 2007.12.17 »

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡の出現したところに 2007.12.16

IMG_6264mm.JPG

16日11時から、東寺古墳群の鉄刀が出土した横穴古墳に小野勇夫君と一緒に入りました。

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡の最初の発見者、渡邉音吉氏に対面することも出来ました。明治36年10月14日生まれで戦争にも三度出征した経験の持ち主で、貴重な体験を数多くしています。この日は、娘さんから出土当時の様子や出土物、その後の貴重な資料を見せて頂くことが出来、大変幸運な一日となりました。

 新井信介さんもこの金銀錯嵌珠龍文鉄鏡の貴重さを知り、新しい展開で中国と日本の歴史を紐解いています。

これも完結に近づいています。

IMG_6255mm.JPG 

この横穴の手前にあったマウンドからの出土なのでしょうか。

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡とともに、刀、ヒスイの勾玉、つぼ、馬具などが出土したそうですが、多くの人が尋ねてきて見せていたうちに、無くなってしまったそうで、今では他人には資料さえも見せないそうですが、今日は貴重な品々を見せていただきました。

また、渡邉家には多くの須恵器でしょうか、高さ1m40cmぐらいの完全な壺が十数個あったそうですが、これらも全部、誰かが持ち去ったようです。出土物が揃えば、凄いことになるでしょうに。

この日、未盗掘の横穴の存在も知りました。偶然、三つの石で封印された物を見つけ、真ん中の石を外して中を確認したそうです。中には三体の人骨があり、真ん中が大きく、両側に二体あったそうで、空気に触れると、見る間に「フ~ッ」と白いけむりになったそうです。こんなシーン、映画で見たことがありますが、まるで同じですね。(吃驚)そして、内部は乾燥していたそうです。

相当の築造技術だったのでしょう。1700年近くも経ったものとは思えない状態だったからこそ、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡も現代までその姿を残すことが出来たのでしょう。

IMG_6275mm.JPG

この写真は、昭和37年8月28日に、梅原末治京都大学名誉教授から渡邉音吉氏に送られたものです。同封の梅原教授の手紙には、前漢時代の後期の鉄鏡で、当時としても逸品であると述べられています。教授は、この金銀錯嵌珠龍文鉄鏡と一緒に、鉄製貝装雲珠、鉄製貝装辻金物を手に入れています。また、出土は、日田市日高小字東寺古墳出土とあります。この写真の他に、白木原好美熊本大学教授や、望月幹夫(東京国立博物館)、三輪嘉六(当時、文化庁工芸科、現大宰府国立博物館館長)さん方の名前が入ったものを見せていただきました。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡の出現したところに 2007.12.16

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.k-kawasaki.info/mt/mt-tb.cgi/765

2012年2月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29      
My Yahoo!に追加

アーカイブ