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安藤正則さん逝く   2008.1.5

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 5日は、朝から消防出初式、昼からは消防団新年会でしたが、14時からの廣瀬資料館館長安藤正則さんの葬儀に参列し、新年会には途中からの参加となりました。

 安藤正則館長は、父の代からのお付き合いです。「天領日田を見直す会」の事務局の仕事で、会報を届けに伺ったときは、いつも鄭重にもてなして頂きました。

 また、独特の口調で廣瀬家のことを語っていただきました。特に、廣瀬旭荘の日記に大塩平八郎のことが書かれており、当時の日記の記述としては、大変珍しいことだ。との話には、大いに興味をそそられました。当時、安藤昌益大塩平八郎のことを聞いていたし、直ぐに日本の北と南の思想家の共通点について思いを馳せることが出来ました。

 もっともっと長生きをして、いろいろな話を聞き出したい人でした。惜しい人を亡くしました。ご冥福をお祈りいたします。

 

西日本新聞日田玖珠版に安藤さんのことが掲載されました。引用開始・・・・・・

廣瀬資料館の「名物館長」 安藤正則さん死去 

広瀬家の足跡 楽しく解説

2008年1月5日(土)10:13

 

 江戸時代の儒学者、広瀬淡窓らの史料を展示する日田市豆田町の「廣瀬資料館」館長の安藤正則(あんどう・まさのり)さんが3日午後7時10分、日田市内の病院で大腸がんのため死去した。83歳だった。広瀬家の足跡を平易に楽しく解説することで知られた「名物館長」だった。

 安藤さんは1924年、国東市で生まれた。戦時中は海軍で砲手を務め、その名残か、コーヒーや洋食が好物だった。終戦後は福岡県で銀行員として働き、定年を機に広瀬家の財産管理をするため、妻文子さんと日田市に移住。蔵の本や古文書を精読し、広瀬家の歴史を掘り起こしていった。

 資料館が開館した1984年から館長。「淡窓は夜遊びに行く弟子を止めるため、マッサージをさせすぎて自身の体にあざができたほどだった」など、人間的なエピソードを交え、観光客らを案内して回った。「説明を始めたら食事を取るのも忘れたほど」(文子さん)だった。

 3年前、肺がんと診断され、治療を続けていたが、昨年8月に転移が分かり入院。病床でも辞書を片手に古文書を読んでいた。日田市観光協会の石丸邦夫会長は「豆田の発展があったのも彼がいたからこそ。惜しい人を亡くしました」と惜しんだ。

 自宅は日田市豆田町9ノ7。葬儀・告別式は5日午後2時から日田市玉川3ノ555ノ1、こうだ玉川斎場で。喪主は妻文子さん。


=2008/01/05付 西日本新聞朝刊= 引用終わり

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