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久しぶりでミネハハさんの歌に声に  2008.12.24

2004年12.月21日22日冬至高千穂ツアー 003mk.JPG
 新井信介さんからのメールで、ミネハハさんのNHK出演(ラジオ深夜便)を知りラジオを引っ張り出してきましたがCDとテープレコーダーとラジオ兼用で、ラジオはリモコンがないと作動できません。その肝心なリモコンが見つかりません。放送時間が迫ってきます。それで、仕方なく車のラジオで聞きました。

 一緒に、高千穂を旅行して以来です。秋元神社では、一緒に手をつないで歌ったことが懐かしく思い出されます。(2004年12月21日、中央の白いブルゾンと私と同じ白い服の女性の間の黒い服の女性がミネハハ、一番左下の画像)

 この秋元神社には、jazz歌手の鈴木重子さんとも足を運んでいます。この時も、鈴木重子(ここの動画は下段の方です)さんが頭に浮かんだ歌をハミングしました。(鈴木重子プロフィール

 

ーNHKの深夜番組でー

 まずは、音楽との出会いから。横須賀の小学校で「君が代」を歌ったところ、その歌声に先生がびっくりして、音楽の道を勧めたことがきっかけで小学3年生で合唱団に入団。歌を歌うときが一番の幸せ。

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 ここで、「浜辺の歌」が流れました。

 現在86件ほどのコンサートをこなしていて、20人程のコンサートから2000人のコンサートまで。一人の前でも、二万人の前でも常に同じ気持ち。

 ピンスポットの向こう側、客席が自然界に変わる。

 学生時代は、大学でクラッシックの勉強、夜はディスコの生バンド、ソウルバンドのヴォーカル。そこで、ディレクターからスカウトされ、スタジオミュージシャンの道へ。英語も、アンサンブルも、ハーモニーも・・・・。それで、ビジュアルを歌にしてゆくCMソングの世界に。商品が良く売れるような声をキャッチし、瞬時になりきる。そんなことで、18歳から歌ったCMソングは3000曲以上。バックソングなら2万数千曲以上。一日にスタジオを3軒から4軒も掛け持ち。 目の前のものを体感する。

 ここから本題の「地球の中の日本人」の話に。

 インドのブッタが生まれたところブッタガヤで悟りをひらく。湯川れい子さんとともに訪れた地で歌を歌ってくれと言われ2曲から3曲歌ったころに、菩提樹の木に多くの鳥が集まってきた。小鳥は菩提樹の木を余り好まないのに。そして、チベット人やインド人が涙を流して聞いてくれた。その中の2人青年が話しかけてきて、歌を聴いて涙が出たのは初めての経験。あなたにお願いがあります。自分たちは、インドのカースト制度の中の最下層の子供たちに学校を作ろうとしてきたが2回失敗した。でも、あなたの歌を聞いて勇気をもらった。あなたの名前、ミネハハを学校の名前に使わせてください。そして学校長に。

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 その学校が、1月15日で一周年を迎えた。先祖代々学校へも通えない、食べるものにも事欠く、病気になっても病院に行けない人々。文盲率が60%。そんな人たちに教育の必要性を説いて回って、学校の開校時には86人でスタート。それが100人、120に、一周年には150人、そして今は300人に。無料のノートに教科書、3月から給食も。アルファベットの一文字を覚えることに喜びを感じる子供たち。

 その経費を集めるために、CDの横にある商品を置いて販売収益を学校の運営に。NPO法人も立ち上げ。

 10月30日には、2校目と3校目が開校。もっと辺鄙なところに。教科書もノートも給食も用意できないから人数分の小さい黒板と先生の大きな黒板一つ。とにかく読み書きから。それでも生徒は集まってきて500人にも。

 先生は、ブッダに縁のあるマハーボディ寺院の理事長が紹介してくれる。先生が一番大事とのこと。

 インドの生活費は、カレーを山盛りついでお代わり自由で日本円で20円ほど。一日一食の子供もいて、給食を出すようになって学校のエネルギーが違ってきた。生きることと食は同じこと。

 まず、第一目標は、読み書きが出来て、一人ひとりが自立して欲しい。男の子は、インドの経済成長とともに職に就けるが、女の子は難しいので、音楽、踊りを教えている。

 図書館も、パソコンも、医務室も欲しい。ピアニカを一台置いていて、それで日本の歌を、「ふるさと」「チューリップ」など。今まで、音=お金だった。CMソングからソロ歌手に。両極端を知る。今は、子供が喜びを返してくれる。目が輝いてくる。本当の至福感を得ろことが出来る。無限の可能性を感じる。

 ここで、1995年制作の「とびら」という曲。

 命に感謝すると心が開く。いるものといらないものの区別がつく。

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 子供に会うとき、必ず一人づつ抱きしめる。あるとき6歳のダル君を抱きしめたところ、手を払いのけて教室を出て行ってしまった。嫌われたかなと思った。そのあと理事長が教えてくれた。彼は涙を見られたくないので教室を出て行った。実は陰で泣いていた。インドの母親は、食べるものもない生活、過労などで早く死んでゆく。ダル君は、柔らかい母親の体に抱かれたことがない。

 先生の感謝デーには、女の子3人が団扇で風を送ってくれる。それも2時間も3時間も。もう良いから、もう良いからと言っても、いいえ、いいえと言って止めない。

 ディハール州は、貧しい州でお金に縁がないから治安も良い。でも国がやらなければいけないことが出来ていない。人のためやることが自分のためになる。子供たちの目は、本当に輝いていた。

 学校建設維持のために、第2回目になるチャリティコンサートを、JICA「地球ひろば」で。

 TEL.0120-031-303  問い合わせ先TEL.03-3722-8940

 最後の歌が、「誰より愛しい人」でした。(YOUTUBUの動画で)

 
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以上、走り書きですので全部は書けませんでしたが、雰囲気だけでも。

  

 ミネハハを検索していたら、なんとブロガーの「きくちゆみ」さんと「ミネハハ」の接点が。これには、びっくりです。ここで、再びミネハハの生歌に触れることが出来ました。

 

 

 

 

 

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