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吉川よしひろチェロソロパフォーマンス開演  2009.4.18

DVC00319mk.JPG 日田祇園山鉾会館での三度目の演奏会です。伝統ある祇園山鉾に囲まれての演奏会は、吉川さん自らの希望でもあります。伝統的文化財(国の無形文化財)を大事に継承してゆく、そしてここでの演奏会を継続して行くことも大事なことだと。今回は、PA無しでの演奏会です。また、新調なった大和町2丁目の水引きの二匹の龍が演奏会に華を添えました。
DVC00321mk.JPG 吉川さんの演奏を初めて聞く人は、どうしていろんな音が出てくるのか不思議に思うようです。途中で彼自身が紹介しますが、彼の足元にはブラックボックスがあって、これを演奏しながら足で操作します。生の音をその場で録音して、その場で再生しながら、その音に生の音を重ねて行く。音の重なりが広がって行きます。you‐tubuでの吉川よしひろ。 
DVC00323mk.JPG 一年のブランクがありましたが、最近の彼は、演奏会でなく講演会にも引っ張り出されています。いろんな経験を積んでいる彼の話は、非常に含蓄のあるものでしょう。今回の演奏会では、演奏の合間の話で笑いと拍手を受けていました。
DVC00318mk.JPG コンサートの後、日田乃海でスタッフ一同とちゃんこ料理を囲んで楽しい一時を過ごしました。ここで、電話で聞いていた、秋元神社での不思議な体験話を聞かせていただきました。 秋元神社でつながったミュージシャンは、吉川よしひろさん、鈴木重子さん、ミネハハさんの三人です。

吉川よしひろさん、独り言のコーナーから

放すことがもたらす解放・そして崇高な一瞬の空間の中で。 2009/03/13 (金) 11:19 [52]

自分自身の心と身体も痛むところがあると、その痛むところのまわりに筋肉が集中し固まりやすくなります。

不安や恐れのために、知らずしらず安定を得ようとして、
逆に無意識にしがみついてしまうのを感じます。

今、私の心の中でも同じことが起きています。

精神的にわずらわされない大自然の環境の中で、
身体を実際に横たえてみる、そして完全に重力に身をまかせてみた、
水に浮かぶような気持ちで力を抜いて・・・そしたら 自然と身体がゆるんできた。

いらないものが重力にまかせて滑り落ちていく感覚を感じ、
身体が開いていく感覚を意識しながら、
私の身体は、ゆっくりゆっくり心とともにゆるんできました。


●傷ついた過去があるからこそ、
そこにしっかり向き合い、
意識的に強く全てを手放してみる。

自分が正しかったということを証明する必要はありません。

自分自身が正しくあろうとするより、
過去を水に流し・・・これから始まる、
新たな静かなスタートの心に、
私は「大丈夫・大丈夫・大丈夫」と何十回も言い聞かせた。

神秘の神話と秘境の故郷、宮崎県高千穂(パワースポット)から、
車が一台やっと通れる断崖絶壁の道を、
さらに2時間以上も山深く上って行く。

完全に行き止まりまでゆっくり走る、
そこから徒歩で歩くこと20分、
ここからは傾斜がキツイ絶壁を ひたすら山の壁を這う様に、
杖に助けてもらいながら無心に登り歩く、
息も途絶えがちの状態のなか、40分かけて、
やっとたどり着いた神々が住む神秘的な目的地。

目的地の周りは強力な霊気を強く強く強く感じる!
その瞬間から私の身体全身はゾクゾク・ガタガタの身震が止まらず、
強力な霊気が私を襲いかかってくるの感じるのである。

私は大きく深呼吸をし、心静かにいままでの経緯を森羅万象の絶対者に話す、・・・この場所に導かれる心のバイブルにしている本を大きな声で読み、
この大きな 大きな「太子ヶ岩の洞窟」神々の存在を強く感じさせる崇高な一瞬の空間の中で、
原初の強いメッセージとエネルギーを受け取り。

潜在的に持っている本来の自分のエネルギーともに、
改めて、新たな道をスタートいたしますと誓った瞬間、
私は口には言い表すことのできない感動でした。

夕暮れ、やっとのことで高千穂の町まで降りてきたときには、
私の身体が物凄い脱力感と疲労感を感じ、
無事に高千穂の町まで戻れた私の心と身体の安堵感と充実感と共に車の中で深い深い眠りに入ってしまった。

こんな素晴らしい感動は始めての体験でした。

吉川よしひろ


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吉川よしひろさんブログから

◆ 一人歩きの日記帳 ◆ (誤字、脱字があっても気にせずに読んでね!)
-- Yoshihiro Kikkawa --


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▼ いろいろのできごとなんかを気ままに書いてみたいと思います。(^^) | | ▼
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国際交流会館ホールでのコンサート!

ああああ、いいね~、南阿蘇の山々、そして人情・・・大好きだなこの地。

今夜も沢山の人達が大切なお時間とお金を使って来てくれ申し訳ない気持ちと感謝の思いで胸が一杯になりました。

遠くは宮崎県・福岡県・長崎県・佐賀県・大分県からも会場に足を運んでくれて本当に嬉しかった。

そして宴の席も大いに盛り上がり 楽しい会話でさらに焼酎が進みました。


さあ!明日は天領地、大分県日田市での2年振りの公演・・・とても楽しみだ。

東京大手町・KDDI ホールでの講演会。

東京は朝から晴天、今夜は都内にある大手町・KDDI ホールで講演会だった。

私が全国を歩きながらいろんな福祉施設でボランティア演奏や学校公演やコンサートLIVEをしている体験談をお話しするのだが、

今夜のタイトルは「情熱があなたの夢をONにする! チェロを奏でながらキャラバンの旅」というタイトルで講演した。

私の中で講演会は4回目になるが、・・・自分自身講演していて とても楽しかった。

これからはもっとこれらの講演のご縁をいただきながら、

講演会を沢山増やしていけたらと考えている。

(どなたか?吉川ヨシヒロの新しい私の発見があるかも?
どうぞ講演会企画してみませんか?実話の涙あり・笑いあり・演奏あり、・・・とても楽しめますぞ!)


今、東京都内の東銀座のホテルにいます、・・・明日、熊本城前にある国際交流会館・そして翌日の大分県日田市でのコンサートのために、
今日の午後の便で熊本空港に帰ります。(まるで九州人になったみたいですね?)

昨夜の大手町のKDDIホールに、
いつもとは全く違う、私を初めて知る沢山の方々が講演会場にきてくれました。
(ありがとう!)

久しぶりの東京・大都会を正直感じたまま書きます。・・・ずっと車で一人旅をし、いろんな福祉施設で慰問演奏・学校公演・コンサートのご縁をいただきながら日々そんな活動中から大都会東京を感じたことが気になるので書きます。

東京はコンクリートで土から出てくる良い気をふさいでいるせいか?
邪気と、心を煩わされることが非常に多く感じたように思いました。(このように感じるのは私だけでしょうか???)日本全国回りながら私は思います、
車で独り旅をしながら、その土地の山々や海を見ながら私自身浄化され、
森羅万象の絶対者から、さらに軌道修正させて頂こうと強く思いました。
(森羅万象の絶対者に全てを全託します。)

宮崎県都城市・慰問演奏・そして宮沢賢治の詩!

今日は午前10時より都城市にある特別養護老人ホームでの慰問演奏だった。

皆さん 知っている曲が始まると誰ともなく チェロの旋律に合わせて、
歌声が始まる。

あっという間の慰問演奏の時間だった、
中には 懐かしさのあまり思わず涙を流すご高齢の方が何人もいました。

慰問演奏の後、今度は宮崎県都城市から熊本空港目指して高速道を爆走。

しかし長い距離です・・・何回か途中休憩を入れながら夕方熊本空港に到着。

そのまま空港に車を預けて・・・羽田空港へ飛ぶ、
何ヶ月ぶりの関東だろう????あすは大手町で公演じゃなく、講演が待っている、・・・自分のいろんな体験談を交えながら演奏する講演である。
(自分自身こういった講演も大好きだ。)

それにしても羽田空港に着いたとたん強い雨の夜だった。

ふと、夜中に先日熊本県八代市で慰問演奏をさせていただいた時に、
3歳から高校生の子供達がお礼に宮沢賢治の詩を 暗記し、
皆で声を大にし、私に語ってくれた詩を思い出す。

「セロ弾きのゴーシュ」''私の宮沢賢治''

1896年 岩手県花巻市 宮沢賢治は、大地震・大津波・冷夏が
東北地方を未曾有の天災が襲った年に生まれた。
生家の富を拒み、過酷な環境にある農民と辛苦をともにし、法華経の
教えに忠実に生きる一方、無限に広がる理想郷・イーハトーブの世界に、
ジョバンニ・又三郎・山猫といった自らの分身を解き放ち、
「心象スケッチ」と呼んだ無数の詩文で存分に遊ばせた。

  そして*雨ニモマケズ*。

「自分にはまだまだ慢心がある」とこの詩を残し、奇跡的な大豊作の
年に旅たっていった、賢治37歳だった。


''岩手とイーハトーブ''

二つの小宇宙をひたむきに生きた賢治の祈りを感じた。

賢治は音楽が大好きだったそうです。
特にチエロが大好きで大正時代に盛岡から一日中列車にゆられて東京まで
チェロを習いに行っていたそうだ。
あらためて、あの時代に東京までチェロを習いに行っていたことは凄いこ
とだと思う。
昔で云うハイカラさんだったんだね。


賢治は音楽が大好きで、始めのころは蓄音機の前でじっと音楽を楽しんで
いたのが、最後のころは蓄音機のラッパの中に頭を突っ込んで、チャイコ
フスキーやショパンなどを、夢中で聴きながら恍惚となっていたそうだ。 

1933年9月21日、
賢治は花巻の実家の2階で、この世を去った。
急性肺炎、享年37歳、あまり長くない人生だった。

死の直前、賢治は

「国訳妙法蓮華経を1,000部作り、知己の人びとに渡してほしい。
そしてお経の裏側には、それが私の生涯の仕事でした、と書いてください」

という言葉を残した。

遺言を書き留めた父・政次郎は「お前も立派になった」と賢治を褒めた。
賢治は兄弟たちの方を向いて「おれもとうとうお父さんに褒められた」と
嬉しそうに笑った。その後少し水を飲み、オキシフルをつけた脱脂綿で身
体中を自分自身の力で拭き、そしてその綿をぽろっと落としたときには、
もう息を引きとっていた・・・・・・・・・・。
死後半年ほど経って、賢治の愛用トランクの内ポケットの中から1冊の手帳が
見つかった。

雨ニモマズ    
風ニモマケズ 
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ   
慾ハナク  決シテイカラズ 
イツモシズカニワラッテイル   
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ   
アラユルコトヲ 
ジブンヲカンジョウニ入レズニ  ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ   野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニイテ 
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイ、トイヒ  
北ニケンカヤソショウガアレバ 
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ 
サムサノナツハオロオロアルキ 
ミンナニデクノボートヨバレ   
ホメラレモセズ 
クニモサレズ  
サウイフモノニ  ワタシハナリタイ

(宮沢賢治全集3より引用)


誰でも書ける言葉で記された、
わずか30行の詩。
でも誰にも書くことのできない、わずか30行の詩。      
いったいこれまでどれだけ多くの人びとが、
この詩に希望と勇気を与えてもらってきたのだろう。

最後に私は、賢治の「星めぐりの歌」のメロディーラインが切ないほどに、
私の心に今も胸を衝く。 
ありがとう宮沢賢治、ありがとう「星めぐりの歌」。

吉川よしひろ

鹿児島県薩摩川内市から~都城市へ。

またまた今日もかなりの距離を走らないと、演奏時間まで間に合わない。

鹿児島県薩摩川内市から宮崎県都城市へ移動。

今日もかなりの距離を走る・・・今夜はいつも厚い応援をしてくださる、
都城市内にある 住職さんのお寺さんでのLIVEだ。

思うのだがお寺さんでの演奏会は特別に感慨深いものを感じる。

何故か今夜は 優しい やさしい気持ちになれた。
そのせいか曲目もいつもとは違った 穏やかな曲を選曲をした。
とても大盛況でした。

夜の宴も 女性気はまったく無く、男の人たちだけ30人位の酒盛りは大いに盛り上がった。

さあ!明日の午前中は慰問演奏が待っている。

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