金銀錯嵌珠龍文鉄鏡を巡って 2009.6.14
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2007年10月26日
アマテラスの鏡の元祖は、これ
日本の古代史に、参考なるhpはいろいろありますが、
最近の考古学のことを教えるものが 以下の討論会 です。
少し、偏りがありますが、熱心な方が多いので、 面白いです。
http://e-asia.board.coocan.jp/?m=listtop
そして、 友人の川崎さんが紹介している、
日田で出土した謎の 『鉄鏡』 ・・・ 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡
中国人学者は、日本にある鏡では、この鏡しか、その価値を認めません。
三角縁神獣鏡も 画紋帯鏡も、方格規矩四獣鏡も、銅鏡で、
いくらでも複製できるので、 本当の権威にはなっていないと。
http://k-kawakaki02.seesaa.net/category/2983396-1.html
川崎さんは、次のように書いています。
「金で細工された貴重な品々。 日本では、日田で出土しただけです。
鉄鏡でこれだけのものは、同時代の中国の魏の曹操クラスの皇帝しか
持てなかったそうです。
と言うことは、日田にそうゆうクラスの人物がいて埋葬された???
渡来系の人・・・? だから、日田には貴重な遺跡が沢山出土するのです。
戦前には、日田は考古学の宝庫と言われていたそうです。
貴重な品々が散逸してしまったのではないでしょうか。
行政の責任は重いものがあります。 」
この日田は、 江戸時代は、幕府直轄の天領で、長崎奉行所を管轄していました。
幕末の大量の金の流出にも、関わっていたはずです。
鉄鏡は1933(昭和8)年、旧国鉄久大線の敷設工事に伴い、同市日高のダンワラ古墳から出土した。金銀が埋め込まれた鉄鏡としては国内では唯一の出土品で、中国の漢(紀元前3‐3世紀)から日本の王族にもたらされたものとされるが、なぜ日田から出土したのか、なぞに包まれている。
河野室長によると、弥生時代中期、九州北部には伊都国と奴国の二大勢力があり、互いに華北(中国)、楽浪(朝鮮半島)との交易・交渉窓口をめぐって覇権争いを展開。紀元前後に勃発した倭国の大乱の末、伊都国に敗れた奴国の王族の一部が難を逃れる際、金印(漢委奴国王印)を志賀島へ、鉄鏡を日田に持ち込んだのではないか、との新たな見方を示した。
鉄鏡は直径約21センチ。金、銀、ガラス(トルコ石)で装飾され、顕微鏡調査などによると、コウモリが羽を広げたような文様も見られた。ノミのような工具を巧みに使った「蹴堀(けぼ)り」の技術が導入されていることなどから、中国の戦国‐前漢時代に作られたものと推測できるという。
鉄鏡の縁には「孫」「長」「宜」の文字も刻まれ、「子孫の代まで末永くよろしく」という意味を表しているという。
河野室長は、日田市刃連町から出土し、同じように中国・漢からもたらされたとされる大小2個の金錯鉄帯鉤(きんさくてつたいこう)(帯留め)を含め、「日田には奴国の王族と血縁関係がある人物がおり、奴国の王族の一部がセットで持ち込んだ可能性が強い」とした。
そのうえで、鉄鏡、帯鉤とも同じ様式の出土例がなく、比較検討による研究が進んでいないこともあり、河野室長は一帯の基礎調査と調査結果の公表を求めた。
=2007/11/06付 西日本新聞朝刊=