小迫辻原遺跡を訪ねる放送大学公開講座 2009.7.18

2009_07_18 093mk.JPG 18日午後から大分の放送大学主催の公開講座が、日田市の別府大学日田歴史文化研究センターで開催されました。テーマは、小迫辻原遺跡です。大分市方面から多くの方の参加があり、それに日田市からの聴講者もいて教室は満杯です。
2009_07_18 096mk.JPG2009_07_18 091mk.JPG2009_07_18 099mk.JPG2009_07_18 102mk.JPG2009_07_18 103mk.JPG 小迫辻原遺跡は、日田ICの北側に広がる高台、山田原の平原に広がる遺跡群です。旧石器時代から中世の遺構までがあり、特に環濠を備えた豪族の居館跡があり日本最古のものとされています。発見のきっかけは、高速道路の工事に伴うものです。当時を知る在京の記者の話では、考古学者が九州に向かっている様だとのことで調べてみると日田だったとのこと。

 日田市では、この小迫辻原遺跡に限らず、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡や金錯鉄帯鉤の出土、装飾古墳など多くの出土物があり、戦前から埋蔵文化財の宝庫と呼ばれていました。

 なのに、これらの貴重な埋蔵文化財に対する市の反応は真に鈍いものです。全国には、考古学ファンがたくさん存在します。日田市に眠る遺跡群、埋蔵文化財、現存物に光を当てれば、日田市の町おこしに繋がると思いますが。何故か、動かないでいいような言い訳しか返って来ません。

 よその地で、町おこしに成功しているところは、不確かなものを核にして大成功を収めています。何度も市議会で取り上げていますが進展が非常にスローモーです。市外から人を呼び込まない事には、市の活性化は望めません。企業誘致は、景気の変動をもろに受けます。長年に亘る定着を期待できません。歴史とロマンと自然に、今だけ、ココだけ、貴方だけを付け加えて・・・・・・・・・・。

小迫辻原遺跡で現地説明 2009.7.18

2009_07_18 104mk.JPG  放送大学の教室での講議を聞いた後は、小迫辻原遺跡での現地説明会です。夏の日差しが強く射します。でも、風が吹いていたのが慰めです。この遺跡群、いつになったら整備されるのでしょうか?学者さんらの評価は、佐賀の吉野ヶ里遺跡より重要だ、価値があるというのですが。文化レベルの差なんでしょうか?そう言えば、大分県は他県と比較して遺跡群の整備が非常に遅れています。逆に破壊した実例もあります。日田市でも同じことがありました。
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いつも見かける黄色い蝶々とキツネノフグリ

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朝の散歩で出合った生き物たち 2009.7.19

2009_07_19 034mk.JPG 最近は、国道210号バイパス沿いを歩いています。河川沿いに比べると生き物との出会いは少ないのですが、時にはこのような出会いが・・・・・・・。
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日田祇園祭集団顔見世、日田駅前に集合 2009.7.23

2009_07_23 001mk.JPG 今晩は、日田駅前で集団顔見世です。本来の山鉾は、関係町外への持ち込みは絶対に禁止です。巡行中は、綱の先端でも町外に入れさせません。そこで、今日の流れ引きの日。所謂、試し引きの日です。山鉾を完成させ本番に無事に運行できるかを確認する日です。そこで門外不出の山鉾を、試し引きの日であれば、町外に出して良いでしょうとなったのが、この日の集団顔見世です。そして提灯をつけての晩山は、今回が三度目です。昨年は、平成20年という節目であり特別に晩山に。今年は、昨年好評だったので再び晩山に。実は、今年のこの企画、市長は総合文化施設パトリア日田前で行うようにしましたが、山鉾振興会の反対にあい遭えなく中止となりました。このため日田駅前からパトリア日田までの電線高架化も中止に。議会でも3月議会で山鉾振興会との念密な話し合いを確認していたところでしたが、どうも我々は騙しにあっていたようです。

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 自町の小屋の前で山鉾に提灯をつけます。大変な危険を伴う作業です。涼しい風が吹いていますので、作業には好都合ですが、雨が心配されます。雨に備えて山鉾や人形に被せるビニールシートも積み込まれます。

 

 

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 日田信用金庫前に、大和町、川原町、三隈町、若宮町の山鉾が会場入りの順番に集合します。晩山のために、今まで参加してきた小学生の集団を見かけません。これは、少し寂しい感じがします。昼間の集団顔見世であれば、多くの児童が参加できるのですが。

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 日田駅前に集合してひな壇を見ると議長以外の市議会議員の姿が見えません。従来であれば経済環境委員会のメンバーが壇上に上がるのですが?確認してみると委員長以外には招待していないとのことです。それを、今日この日に知り知った菅田委員長は、抗議の意味で出席を見送ったとのことです。確認してみると佐藤市長の指示で市議会議員には案内を出さなかったとのことです。またまた、ここにきて議会との不協和音です。楽しいはずの祭の場には、相応しくない話題ですが・・・・・・・・・・。

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 日田駅前での集団顔見世は、2年続けての晩山です。本番では、隈・竹田地区に4基、豆田地区に4基の提灯山鉾が夜に繰り出しますが、集団顔見世は8基の提灯を点けた山鉾が揃いますから、市民はコチラに大挙押しかけます。その為、昨年は本番に詰め掛ける観衆が少なくて引手もがっかりです。集団顔見世を晩山にしたために、日田祇園祭り本番での集客効果が半減します。本番前に派手な晩山では当然でしょう。

 昨年の集団顔見世は、9基の山鉾が集合し多くの人手がありましたが、例年と違う場所にしたために会場が狭くて市民に非常に不評でした。今年は、市のパトリア日田前での集団顔見世の企画が、各町の山鉾振興会長から反対にあい、再び日田駅前に。昨年と場所を変えましたが、やっぱり会場は狭すぎました。一昨年まで使用してきた駅前のタクシーの駐車場が、多くの市民に寄り付きが一番良いのですが、行政側は、何故か場所を変えようとします。何に拘っているのでしょうか?

seesaaブログの動画で、日田祇園集団顔見世の雰囲気をお楽しみ下さい。

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二日間に亘る臨時議会終了、全議案可決 2009.7.23

2009_06_17 039mk.JPG 日田市議会臨時議会本会議が14時から再開され全議案が可決されました。国のばら撒き補正予算によるものですが、物品購入や事業の前倒し事業で、本来の景気刺激策になるのかとの疑問が各議員から指摘されていましたが、議案の提案前に執行部から協議もありません。昨日の議案考案の全員協議会では、議員からの「今回の補正議案には、景気刺激策の効果がないのでは?」との質問に、「いい考えがあったら逆に教えて欲しい。」「本会議場では、議員から要望も出なかった。」との市長発言に気色ばむ議員も。

 そうした中で目を惹いたのが工事請負契約の議案106号です。議案107号も落札率が95%と高率ですが、議案106号は、一般競争入札で落札率が99、81%です。大分県内の11社中3社が電子入札に参加し、その際に2社が辞退し1社で落札。考えられない事です。議案考案の全員協議会の場所でも、議場の議案質疑でも3社で入札したとの執行部からの返事のみで、あとの2社の企業がどの様な金額で応札したのか確認しようと思っていたら辞退とは、想像外でした。今後の事もあり、県内で同様のケースが行われていないのか調査する必要がありそうです。総務委員長報告の内容では、審議の中が見えてきません。議場で委員長質問をしましたが、入札は適切に行われたとの返答で要領を得ませでした。

 先の6月議会では、最低制限価格での入札で、くじ引き落札の問題を提議しましたが、今回は高落札率の神業落札が1社のみの応札で完成とは。行政側の工事発注仕様のあり方にも、問題点がないか検討する余地がありそうです。

 

各委員長報告 

 

h21-07総務委員長報告2009.7.23.doc

h21-07教育福祉委員長報告2009.7.23.doc

 

h21-07経済環境委員長報告2009.7.23.doc

 

h21-07建設委員長報告2009.7.23.doc

 

 

新しい国家の誕生になるのでしょうか? 2009.7.22

2009_07_22 023mk.JPG 今日は、昨夜から雨模様です。果たして皆既日食は見られるのでしょうか?私は、臨時議会が10時からあるので、残念ながら見る事ができません。最初は、トカラ列島行きを誘われていましたが、祇園祭りもあるし、まさか臨時議会が入ってくるとは。皆既日食には、いろんな事が起こっています。

 金環食には、岸信介 「話し合い解散」、皆既日食には、池田勇人 「所得倍増解散」、金環日食、吉田茂 「馴れ合い解散」、金環日食、鳩山一郎 「天の声解散」。何かが起こる前兆なのでしょうか?

 野党が政権を握ると、阪神淡路大震災。これは、自民党と社会党の野合合体政権でした。

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 新井信介さんからの配信メールに以下の事が。

 日本の秘史にも触れています。

 右近の橘、左近の桜にも、

 エフライムとダンです。

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2009_07_22 042mk.JPG解散と皆既日食。新しい国生み。

 明日、午前11頃、トカラ列島で皆既日食が見られます。日本も大騒ぎですが、上海は、さらに大きな騒ぎになることでしょう。皆既日食は昼間が真っ暗闇になるだけに、時の権力者の暗殺などの事件によく利用されました。

 そして、その前日の今日、日本の麻生総理は、衆議院を解散します。この解散の日付は、どうも、麻生総理が決めたのではなく、だれか、別の人間から、指示されたのではないか、と考えられます。

 その人間とは誰か?

 実は、この日本列島には、最初に、倭国政権ができたときからの複数の 「特定一族の長老たち」が存在しています。
 それに、外来の聖職者が加わって、 天皇を生み出しています。

 この島国での権力の発生とその推移を、つぶさに調べていくと、ある部族のなかで、それぞれもっとも先を見通せる英邁な長老が、自分の関係する一族のなかで、もっとも無私で優秀な人間を、秘密裏に後継指名をしながら、 常に、時の政府のあり方を監視し、状況に応じ、変革させてきたのではないか、 と考えられるのです。

 今、アメリカの覇権がなくなり、 中国の共産党政府が反日から親日に変わり、台湾を飲み込むとき、日本に、グローバルな視点であらたな政治体制をつくるべく、その長老たちが動き出した、と感じられるのです。

 ここは、フリーメーソンやイルミナティーよりも、古いものです。 

 では、その一族には、どんなものがあるか?
 確実にいえるのは、「国譲り」をするときに、その前に王権をもっていたニギハヤヒ系統の人間です。今でも、天皇家が、お弔いをしています。

 そこに、天孫族が加わりました。これは、春日大社の祭神になっている人間の関係者一族ではないか、と私は、考えています。

 さて、日本列島の歴史の中で、皆既日食が大きなドラマだった日はあるでしょうか?

 そうです。皆さんご存知の、「天岩戸神話」は、皆既日食を 暗示します。 

 3世紀に、247年と248年に、皆既日食が起きています。

 前者は、九州のみでした。後者が、関西・中部でも、皆既日食が見れました。

 で、今回、皆既日食が現れるトカラ列島ですが、これまで、日本史に登場したことがあったでしょうか?

 あります。

 BC330年ごろ。アレクサンダーがペルシャを滅ぼした直後です。

 このとき、古代イスラエルの関係者が、奄美大島を経由して日本列島に来ています。

 私は、これが、倭国に王権が生まれる切欠けと考えています。
 それが、奄美地方原産の柑橘類・橘を象徴にした「橘」紋で、これは、日本列島での王権の正統性の起源となっています。御所の紫宸殿にある「右近の橘・左近の桜」の橘、そして、文化勲章。

 今回の皆既日食は、日本の政権交代次元の変革にとどまらず、国家体制(これは、王権)そのものまで、大きく変える、トリガーになります。

 PS ここで反省:
  できれば、現地に行きたかったのですが、引越しやら、息子の学校がまだ終わっていない(長野県は夏休みが短い)など
  で、断念。しかし、日本の本土で、皆既日食が見れるのは、26年後の2035年に。このときは、本州でも見れる。どんな、世界になっているでしょう。
 
私たちの使命は、重大です。

 本件で触れた王権の成立については、株K2O、もしくは、猫屋さんに、DVDを申し込んでください。

 

 

日田祇園祭神輿洗いと早回り競争 2009.7.19

2009_07_19 002mk.JPG 日田祇園本番一週間前の19日深夜に、神輿洗いと神輿を担いで町内を駆け抜ける早回り競争があります。今年は、趣向を変えて三隈町と隈(大和)町の二チームで争われるようになりました。従来は、三隈町1,2丁目と隈町1,2,3丁目の5チームでのタイムレースでしたが、少子高齢化の波がここにも影を落とし、人集めが大変となっています。

 町内の者にとっては、この神輿洗いが体力的にも精神的にも凄い負担になっています。この行事をやり遂げると、皆「ホッ」とします。

 駆け抜けるコースは、八坂神社(祇園会館)前がスタート地点、隈町方向に右折し桜木タバコ屋を右折、サトウパークインホテル前を折り返し旅館街を抜け札の辻を左折、焼き鳥一幸先交差点を右折、日田信金交差点先を折り返し、中村屋先交差点を折り返し、押し花会館前を左折、ヤマニ交差点を右折し、福島米穀店前を折り返し、代行運転前を折り返し、古賀写真館前を左折し八坂神社へ突進しゴールインです。全力疾走ですから、チームを最低でも3チームに分け3回は神輿につかなければなりません。しかし、今年は合同チームですから余裕があります。私も八坂神社から桜木タバコ屋まで神輿を担いで走りましたが、左肩に見事に傷が入りました。

 タイムレースの後は、三隈町と隈町の若手が仲良く一緒に神輿を担いで三隈川に。ここで神輿を洗って、町内を回り神輿を八坂神社に収め、表彰式で終了です。この後、町内で打ち上げです。でも、明日から山鉾作りがありますから早めに切り上げです。タイムレースと神輿洗いを動画でアップしました。三隈町スタートhttp://kunsan.seesaa.net/article/123981940.html?1248219727 、隈町ゴールイン神輿洗い

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ニュージーランド沖でM7.8の地震が  2009.7.15

2009_06_26 080mk.JPG 地震のニュースです。ニュージーランドで大きな地震です。津波の心配がありますが、その後に副振動が・・・・・。世界のアチラコチラで地震が起こっています。日本でも今年の秋に大地震の予想が流れています。ゲンを担ぐわけではありませんが、政権交代が起こると大地震が?阪神大震災のときは、元野党だった方が総理でした。先月も東京からのゲストを迎えて金銀錯嵌珠龍文鉄鏡のことを論争している時に、ドシン(6/25 M4.6)ときました。翌日の日の出前の空には、日頃見ないような雲が広がっていました。中国での雲

ニュージーランド沖地震

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 seesaa自宅(石井)から

seesaa中ノ島から

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新井信介氏の講演会  2009.7.11

2009_06_18 039mk.JPG  東京外大の本郷キャンパスで新井信介さんの講演会が開催されました。時代が混沌とし都議選の最終日です。時間があれば飛んで行くのですが、なにしろ東京ですから。他の用事とも重なり。でも講演会のさわりをメールで感じる事ができます。先日、九州の三ヶ所で聞いた話とつなげると輪郭が見えてきます。笹川良一やその子供たちの話など、ビックリものです。

日経ビジネスニュースを斬るから・・・http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090715/200156/

・・・・・メールより転載・・・・・・

 久しぶりに、「時事」を東京で話しました。歴史の研究を2年以上したあとなので、参加者の関心レベルは、単に国家や世界を通り超えて、すべてに本質をもとめ、「銀河系」の水準にあります。

 もちろん、スピリチュアル系の妄想に対しては、厳しい態度を持っています。

 私は、サブプライム後の世界経済の構造変換は、戦後のアメリカ覇権での仕組みの終焉というよりも、明治維新以来の「工業化での国つくり」のやり方そのものが、日本では、限界に来ている、と話しました。

 そして、現在のサブプラ破綻後の世界経済の変革ですが、新規のシステムが生まれるのを阻害している最大の要因は、
 実は、日本人自身の側にあること を話しました。アメリカは今、失業者が10%を超え、国内経済建て直しのために、実はドル安を、願っています。

 それをさせないのは、 最適工業大国になった日本です。 ここが、官僚・財界・労働界・宗教界によるマトリックスが阻んでいます。

3) 日本の戦後の仕組みは、実は、1944年のブレトンウッズ会議のときに決まっていました。 この会議は、単なる連合国の会議ではありません。 昭和天皇の意向を完全に無視して、計画的な暴走を続けた日本の陸軍が、中国沿岸部の主な都市を占拠している中、 原爆が落とされる一年以上前に、工業化での戦後復興の筋書きと、そのための資金が用意されていたのです。
 
 現在の国際政治と世界経済の流れ・本質を見極めるには、日本の天皇家とバチカンの出発と、その発展史を正確に知る必要があります。

 この前の戦争では、1931年9月に、石原莞爾が板垣征四郎と満州事変を起こしたのが始まりです。しかし、実際に満州を占領すると、共和制を考える石原は外され、陸軍は、天津に隠居していたラストエンペラー溥儀を担いで満州国を建国しますが、これが、リットン調査団に否定されてしまいます。

 その直後のジュネーブの国際連盟会議で、日本は脱退を宣言します。そこでの主役は、拡大志向の陸軍に押された松岡洋祐で、彼は日本の立場を「ナザレのイエス」と同じように受け止める演説をしますが、その傍らには石原莞爾がいました。石原は、第一次大戦後のドイツに駐在武官として滞在していました。

4) この国際連盟脱退により、英米との戦いが不可避の方向になることが決定すると、この直後、現在に至るも、日本の政治にも影響を残す重要な人物が、イタリアに単身、飛びました。笹川良一です。

 笹川は、ムッソリーニに会見し、バチカンを独立国にするように要請し、以後、四谷にある日本の上智大学が、バチカン大使館の機能を果たします。上智大学は、バチカン=カトリックの先鋭部隊イエズス会が作った大学です。こうした中で、1936年2月26日に、「二二六事件」が起きます。」

 笹川良一が、イタリアに飛んだのは、1939年で、226事件の後 でした。このときには、すでに、日本は、三国同盟の締結の方向が固まっていました。

 となると、笹川は、バチカンを独立させたのではなく、(これは、ラテラノ条約で、1929年の2月11日に達成しています)、日本政府の首脳がバチカンを使って、ある戦略をするための、密使だったと考えられます。
 
 しかも、この人物は、太平洋戦争の最終場面でも重大な仕事をします。自ら進んでA級戦犯であると名乗りをあげ、巣鴨プリズンに入ります。これは、必ず出所できると踏んでから、占領軍の懐に飛び込み、そこで捕らえられている、板垣・土肥原・東條らから、直接、国家秘密を知り、私的な依頼をうけます。 そして、彼は、児玉誉志夫、岸信介と一緒に、出所します。そこから戦後が始まっています。

 私たちは、 この3人が、なぜ、出所できたのか? その理由を知りません。
 また、巣鴨では、何が、引き継がれたのか? まったく知らされていません。
 日本の戦後の情報空間や政治環境は、 こうした誰かが書いたマトリックスの上に築かれ、その中で、多くの日本人は銭金だけを追いかけていたのです。

 いや、その戦争の前の、日本国家自体も、明治政府が作り出したマトリックスに日本国民を強引に閉じ込めていたのです。 明治政府は、アジアの盟主を目指し、天皇に新たな意味合いをつけたものの、天皇の存在については、 その成立や機能については、実証的、自然科学的考察の成果を、ごく少数の人間たちの了解事項にして秘匿し、国民には、そこに立ち入ることは、まかりならんとして、徹底的に排除してきたのです。

 今の、日本の神社界の人間の多くは、いまだに、この中に、遊んでいます。
 イエスが嫌った、パリサイ人と同じ精神性にいることに気がついていません。

 今、 アメリカが、壊れました。
 日本の自衛隊が求めたF22戦闘機も供給されません。
 これは、完全に、戦後世界が壊れている姿です。

 そして、 戦後、アメリカに占領されているのをいいことに、日本国内に、好き勝手に利権を作ってきた、根性の曲がった人たちが、《神の裁き》を受けるのは、これからです。

 自民党の分解は、アメリカ代官所の分解です。

 で、問題。

 それでは、民主党に、次を 作れるか?

 戦後のマトリックスから始まって、明治に再構築された「天皇」マトリックスを脱出できれば可能ですが。

 今は、《膿だし》で、十分です。

 あと、これは、サービス。

 スサノオの起源は、古代バビロニアのマルドク。

 日本語の「愛」は、 アッシリアの言葉。

 「YAMATO(ヤマト)」は、 ヘブライ語で、神の使命、そして 救済。

 

 

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