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24年前の悪夢、JAL123便墜落。原因は??? 2009.8.12

 JAL123便が御巣鷹山に墜落して24年が経ちます。あの日は、先輩の薬局から帰ろうとしたところに、テレビの画面に旅客機が行方不明にテロップが流れ、それからしばらくテレビの前に釘付けに。この事故について多くの報道がなされています。ここにも不思議な点に付いての検証が。(→http://neko-usa.s22.xrea.com/jal123/jal_frame.html)事故後10年がたって読売新聞にあの時の記事が出ました。米軍の退役軍人が10年間の秘守義務期間が解けて、あの夜に墜落現場の上空に到着していた事実を発表しました。

 当時は、墜落現場の特定にずい分時間がかかりましたが、米軍は早々に現場に到着していたのです。その時から救助にかかっていたら多くの人が助かったでしょう。また、現場に派遣された自衛隊員からも、「墜落現場は把握されていた。暗闇でも行動できるように我々は訓練を受けいている。現場に行かせてくれと言ったが、聞き入れてもらえなかった。」という話を直接聞いた事があります。

///////日本航空123便墜落事件ーウィキペギアから

墜落機の飛行状況は、在日米軍も把握していた。テレビで放送された録音テープによれば、横田基地の管制官は迷走飛行中の123便に対して繰り返し呼びかけていた。

 

墜落場所も早い段階で把握していたとされており、迷走飛行している123便の近くを偶然飛行していたアメリカ空軍C-130輸送機のパイロットが、日本語による管制が長く続いていることと、横田基地から民間機への呼びかけが繰り返されていることで異変を察知。急遽飛行ルートを変更し123便を追尾した結果、墜落から約1時間後に墜落現場付近上空に到着、詳細な現場の位置を測定する。

現場に急行 [編集]

その後、米海軍厚木基地から暗視カメラを搭載している救助ヘリコプターが現場に急行。墜落から僅か2時間で救助態勢が整っていたが、救助のためにヘリから隊員を降ろそうとしたとき、基地の当直将校からすぐ基地に帰還するよう命令された。事故直後には生存者がまだ多数存在したため、これによって犠牲者が増えた。

出典不明であるが、日本の事故に対する米軍の救出活動の参加には日本政府の許可が必要であったため、米軍は日本政府に支援を打診、政府は警察庁に連絡したが不要とされたと言われているという情報がある。国内の事故に対する米軍の救出活動への参加と政府の迅速な判断に課題を残した。

警察庁上層部が米軍の協力を拒んだ理由は明らかになっていないが、理由はメンツとも、国内の事故に指揮命令系統が違う米軍が介入することで現場に混乱をきたすことを避けたとも言われた等、諸説ある[要出典]

///////

 

 プラザ合意との関連で話をする人もいますが、真実は何処にあるのでしょうか。

 航空機事故といえば、大韓航空007便の事件も不思議な事件でした。それを裏付ける話を、現場取材した新聞記者から聞く事もできました。

 犠牲になった方々、遺族の方々のことを思うと・・・・・・・・・。

 ご冥福をお祈りいたします。

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