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石松雅彰副市長、市議会最終日、最後の議場で心情を吐露 2010.3.23

2010.03.23 125mk.JPG 今回の本会議は本当に疲れました。委員会審議に6日間を要しました。それも、最初の2日間は19時近くまで、3日目は18時過ぎ、4日目は15時00分頃まで、5日目は総務委員会の審議結果を踏まえてと、子ども未来室への確認事項を再聴取。特に3日目は、委員会傍聴者が多すぎて委員会審査を全員協議会室に移しました。

 18日に教育福祉委員会に付託のあった予算案のうち、市内幼稚園2園の認可外(無認可)認定こども園の設置に対する補助金の減額修正議案で浮いた2,600万円を、総務委員会の予備費に回すために総務委員会の付託に回していました。

 しかし、19日に総務委員会から届いた結果は、予備費の流入は認めないと採決で決めたとのこと。それも、先例に従い、他市の例を見習っても、採決に馴染まないこの提案を委員長は採決に持ち込み、3対3の同数で委員長判断で否決と決めたとのこと。

 これを受け、教育福祉委員会では、再度総務委員長に審議を依頼することを確認し三連休に入りました。この連休中に、二つの修正案を巡って激しい攻防が繰り広げられました。

 しかし、最終日の23日午前中の教育福祉委員会審査中に、杉野議長から高瀬教育福祉委員長への話があるとのことで、高瀬委員長と古田副委員長が審議を中断し議長室へ。そこで、総務委員会が教育福祉委員会の許可外(無認可)認定こども園の2,600万円を減額した修正額を、予備費に充当することをやっと受け入れたとの報告が、杉野議長から伝えられ事態の収拾が図られました。(修正案が提出されても、原案可決が可能との判断? 二つの原案を可決するためのバーター取引?)

 それやこれやで、本議会の開始時刻が大きく遅れました。委員長の修正案が2案もでて、それらに対する討論は、過去最高の9名に達しました。

 私も、再任用制度と認定こども園の原案に反対し、委員長報告の修正案に賛成の立場でしっかりと原稿なしで討論いたしました。

 そうした中、すべての議案の採決が終結した後に、石松副市長から退職にあたり「挨拶の申し出」が出ており、これを議長が許可。石松副市長は、慣例により議場の隅、出入り口付近に立ち挨拶を行いました。

 このなかで、退職の理由として「佐藤市長との認識のズレが原因」と、ハッキリと言いました。

 石松副市長の挨拶が終わった後、議場では大きな拍手が起こりました。なかには、「よく辛抱した」などの言葉で激励する議員もいました。

 この挨拶により、先に佐藤市長と共に共同で並んで記者会見した12日の理由が「一身上の都合」でないことが明白となりました。

 12日の毎日新聞の記事について、佐藤市長は「自分に取材のない憶測の記事として誤解を与えるので、文書によって抗議する」との強弁がありましたが、23日の石松副市長の挨拶で毎日新聞の12日の記事が事実であることが明白となった訳です。

 「一身上の理由」で退職し、佐藤市長から石松副市長への「ねぎらいの言葉」で収拾を図ろうとした、佐藤陽一市長の狙いは、見事に外されました。現在、日田市役所内では石松副市長だけでなく、他の市職員との間でも「認識のズレ」が生じています。

 一方、議場の外では、この石松副市長の挨拶に庁舎内の職員が食い入るようテレビの前に集まり、石松副市長の一つ一つの言葉に肯(うなず)いていたそうです。9日の本会議場で、私が石松副市長に発した質問の意味に、深い理由があったのだと、この時に気づいたと感想を洩らす職員もいました。

 また、23日の本会議場において、高瀬教育福祉委員長に対する矢野議員の質問で、佐藤市長が民間保育園連盟から抗議を受けていた、「行政からの話し合いに応じなかった」とする数度の発言は、事実無根であったことも、ハッキリしました。

 これにより幼保連携型の認定こども園から認可外(無認可)の認定こども園に変更した理由として佐藤市長が述べた、民間保育園連盟への責任転換は、脆くも崩れました。

 こうした中で、先に、教育福祉委員会で減額修正され提出された2,600万円の認可外認定こどもの園(0歳児からの保育事業)修正案(委員会採決では、修正案に賛成5人、反対1人)は、11人の賛成に止まり、次に原案の採決で原案賛成議員が14人いたことで、認可外認定こども園の採決で棄権した議員が1人いたことが分かります。

 また、総務委員会から否決されていた議案、市職員の再任用制度(委員会採決では、否決に賛成の議員4人、賛成2人)は、16人が賛成に回り可決されました。

 議場で傍聴していた市民は、原案に対する反対討論で、「あれだけ反対の理由をハッキリ述べているのに、それが理解できない議員がいたことに驚き」、このことは「チャンと市民に伝える」と憤っていました。

 また、ある市会議員は、「自分の周りの市民に聞くと皆さん反対と言っている。」、しかし、「市長提出の議案だから、会派で賛成と決めた。だから賛成に回る。」と事前に周囲に洩らしていた議員も。

 24日には、市職員に対して「本当は、心の中は反対だった議員も複数いた。でも、市長からの提案だったから反対できなかった。」と説明に回る議員の言葉に、「は~ぁ、何、この議員!」と、本当に議員の行動が理解できないとこぼしていました。

 後日、実名を挙げて原案に賛成した議員名、委員長報告に賛成した議員、棄権した議員名を、このブログで紹介したいと思います。

 

石松・日田副市長:「市長の考え違和感」退任背景述べる /大分(毎日新聞 2010.3.24.朝刊より転載)

 任期を1年半残して今月末で退任する日田市の石松雅彰副市長(60)は23日の市議会最終本会議で退任あいさつし、「佐藤陽一市長の手法や考え方に戸惑いや違和感があった。信頼関係を築けなかった」と退任の背景に佐藤市長との間に認識のずれがあったことを述べた。

 本紙報道(今月12日付)を追認した格好で、市長同席の記者会見(同日)では語らなかった"心の内"を吐露。

 退任あいさつで、「市長は豊富な能力と長い行政経験をお持ちで、私が補佐する面は少なく、逆に市長の手法や考え方に戸惑いや違和感があったことも事実」「多忙で精力的な市長とコミュニケーションが十分に図れず、信頼関係を築けなかった」と述べた。

 また「こうした現体制のなかで、副市長としての役割や存在価値、必要性を見出せなかった」と、市民や市議会にわびた。【楢原義則】

 

 ・・・2010.3.24.西日本新聞朝刊 日田玖珠版から転載・・・

市長に不満にじませる 日田市副市長 退任挨拶

 今月末で退職する日田市の石松雅彰副市長が23日、市議会の最終本会議で退任挨拶を行った。(本人の挨拶する写真入報道)「(佐藤陽一)市長の手法や考え方に戸惑いや違和感があった」と不満をにじませた。

 石松副市長は「佐藤市長は豊富な能力と長い行政経験をお持ちだが、多忙で、市長とコミュニケーションが十分に図れず、信頼関係を築くことができなかった」と皮肉交じりに佐藤市長を批判。

 副市長としての役割や存在価値、必要性を見いだせず、この職にとどまるのは好ましくなく、財政的にも無駄ではないかと思っています」とさばさばした表情で心境を明かした。

・・・転載終わり・・・

 

・・・2010年3月12日の記事を検めて掲載・・・

毎日新聞・大分版から引用・・・・・・

日田市 石松副市長が退職願 任期途中 認識の差、埋まらず

 日田市の石松雅彰副市長(60)が今月までの退職願を佐藤陽一市長に提出したことが11日、分かった。人気を1年半残しての異例の退職理由について副市長は「一身上の都合」としか語らないが、関係者への取材では「政治的な考えや、行政執行手法の差がありすぎ」など認識の差が背景にあった模様。来年夏の市長選挙を控え、佐藤市長の再選を目指す場合は何らかの影響をもたらしそう。

 石松氏は73年、市役所入り。企画開発、商工観光課などを経て、02年に日田市郡合併協の事務局長。難航する協議を裏から支え、合併後の05年4月、福祉保健部長になった。

 07年7月末の市長選挙で、「日田市を変えよう、新しい風で」と訴えた県庁出身の佐藤氏が、4選を目指した現職を破り初当選。政策強化やトップマネジメント体制確立を目指す佐藤氏は初代副市長の選任に当たり、合併協議でみせた行政手腕をや実務型で庁内に信望のある石松氏に白羽の矢を立てた。

 副市長の職務は06年の地方自治法改正で、従来の「助役」と違い「長の命令を受けて政策や企画をつかさどる」「長の権限に属する事務の一部について、長の委任を受け、その事務を執行する」と権限が強化された。

 だが、すべてを掌握する姿勢を崩さないまま県庁流の佐藤氏と、「副市長」としての職務の物足りなさを感じる市役所生え抜きの石松氏の認識の差は埋まらず最後まで信頼関係を築けなかったようだ。 【楢原義則】

・・・転載終わり・・・

まずは、毎日新聞の12日・13日の記事

12日の記事は、市長・副市長の共同記者会見前の記事です。

日田市 石松副市長が退職願 任期途中 認識の差、埋まらず

 日田市の石松雅彰副市長(60)が今月までの退職願を佐藤陽一市長に提出したことが11日、分かった。人気を1年半残しての異例の退職理由について副市長は「一身上の都合」としか語らないが、関係者への取材では「政治的な考えや、行政執行手法の差がありすぎ」など認識の差が背景にあった模様。来年夏の市長選挙を控え、佐藤市長の再選を目指す場合は何らかの影響をもたらしそう。

 石松氏は73年、市役所入り。企画開発、商工観光課などを経て、02年に日田市郡合併協の事務局長。難航する協議を裏から支え、合併後の05年4月、福祉保健部長になった。

 07年7月末の市長選挙で、「日田市を変えよう、新しい風で」と訴えた県庁出身の佐藤氏が、4選を目指した現職を破り初当選。政策強化やトップマネジメント体制確立を目指す佐藤氏は初代副市長の選任に当たり、合併協議でみせた行政手腕をや実務型で庁内に信望のある石松氏に白羽の矢を立てた。

 副市長の職務は06年の地方自治法改正で、従来の「助役」と違い「長の命令を受けて政策や企画をつかさどる」「長の権限に属する事務の一部について、長の委任を受け、その事務を執行する」と権限が強化された。

 だが、すべてを掌握する姿勢を崩さないまま県庁流の佐藤氏と、「副市長」としての職務の物足りなさを感じる市役所生え抜きの石松氏の認識の差は埋まらず最後まで信頼関係を築けなかったようだ。 【楢原義則】

12日午後4時からの佐藤日田市長と石松副市長が並んで記者会見した後の記事

日田市:副市長会見「役割果たせず退職」 市長からはねぎらい /大分

 日田市の石松雅彰副市長が任期途中で退職願を提出した問題で、佐藤陽一市長は12日、石松副市長と同席の上で記者会見した。「1晩考えたが、辞意が固いため11日に受理した。初当選後の2年半、大きな混乱もなく過ごせたのは副市長がまとめていてくれたから」とねぎらった。

 今月31日付で退職する副市長は「昨年11月ごろから、自分の中で(副市長としての)本来の役割や立ち位置を十分に果たせていないと考えていた。わがままだが、同期の入庁者が定年を迎えるのを契機に退職を決意した」と述べ、任期途中での異例の退職理由は多くを語らなかった。

 一方、市長は退職願を報じた毎日新聞記事(12日付大分面)について「当事者である私への取材がなかった。(正副市長間に)対立構造があるかのような報道は心外」として大分支局に文書抗議する考えを示した。【楢原義則】

12日の毎日新聞の記事を受けて、日田市長は毎日新聞に文書抗議する考えを表明。

12日の共同記者会見を受けて新聞各社は、

まずは、西日本新聞・・・2010年3月13日朝刊

 日田市 石松副市長が退職へ「十分に役割をはたせず」

 日田市の石松雅彰副市長(60)は12日、佐藤陽一市長に退職願を提出し、受理されたことを明らかにした。任期は約1年半残っているが、今月31日に退職する見込み。記者会見で、「副市長の役割を十分に果たせていないという思いがあり、本来なら定年になるのに合わせて決意を固めた」と理由を説明した。

 石松副市長は1973年から市役所勤務。福祉行政歴が長く、日田市郡合併協議会準備委員会事務局長、福祉保健部長を務め、2007年9月に副市長に就任。同年7月に県職員を辞めて市長選に初当選した佐藤市長を支えた。

 石松副市長は10日に退職願を出し、11日に受理された。昨年11月ごろから退職を考えていたといい、今後は「旅行などに行って、少しゆっくりしたい」と話した。

 佐藤市長は「キヤノンの進出予定地に埋まっていたごみを速やかに取り除くなど、女房役として仕事をしてもらったが、決意が固く、やむを得ないと思った」と退職を認めた理由を語った。後任については「まだ何も考えていない」とした。

上記、西日本新聞です。

大分合同新聞では、

副市長が辞職 「役割を果たせず」

 日田市の石松雅彰副市長(60)12日、記者会見し、任期を約1年半残し3月31日で辞職することを明かした。10日に退職願を提出し、11日に受理された。

 石松副市長は任期途中での辞職理由について「副市長の立ち位置が整理できず、求められる役職を果たせなかった。市の同期の職員が3月末で退職するため、時期的に一つの区切りだと思った」と語った。

 同席した佐藤陽一市長は「就任時に市の事情が分からない中、女房役として仕事をしてもらって感謝している」と話した。後任については「空白の時間が長いのは困るが、まだ何も考えていない」とした。

 任期途中での辞職について、市役所内部や市議には「副市長の権限が少なかった」「行政運営で(市長と)考えの違いがあった」といった見方もある。

 石松副市長は1973年に市職員となった。2002年に日田市郡合併協議会準備委員会事務局長、05年に福祉保健部長に就任。佐藤市長が初当選した07年、副市長に起用された。

・・・・以上、大分合同新聞です。

各紙共に、少しづつニュアンスが違っているような気がしますが、皆さんはどう思われますか?

いずれにしても、有能な人材を起用しながら市政発展に寄与させることができなかったことも歪めない事実です。

来年の7月の市長選挙まで1年と3ヶ月余りの任期がある佐藤市長です。

これを糧として、また委員会修正が2件出て相当数の議員が修正案に賛同した事実。

これらのことを真摯に受け止め、石松福市長が指摘するように、今後の市政運営に県職で培った豊富な能力と長い行政経験を活かして頂きたいものです。

 

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