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広島平和記念資料館へ 2010.12.01

2010.12.01.広島 001mk.jpg 今年の西日本監査事務研修会は、広島市での開催です。ホテル到着後、時間があるので、近くにある平和公園、広島平和記念資料館と国立広島爆死没者追悼平和祈念館に足を運びました。大勢の修学旅行生が次々と入館してきます。年間100万人の訪問者があるそうです。悲惨な資料展示品を食い入るように見ては、レポート用紙に鉛筆を走らせる小学生も大勢います。被爆した直後の広島市内の模型があります。左の手前に焼け残った広島駅が見えます。原爆が投下された数日後に、列車で通りかかった私の母が数時間ここで過ごしています。当時、大阪日赤学校の学生だった母が、寮の舎監の計らいで、お盆を故郷で過ごすための帰省の途中だったそうです。当時、一面焼け野原で、何も残っていなかったとの記憶と一致します。

 大阪日赤に戻った母たちは、広島での体験を先生に話したところ、被爆の恐れがあるとのことで、入市被爆者として被爆手帳を交付されています。

 焼け野原の下の写真、学生の頭上にあるのは、原寸大の原子爆弾です。わずかこの一発の爆弾で、十数万人の命が失われています。警告もなく、朝の仕事や学校に日本人が一番外にいる時間を見計らっての原子爆弾の投下です。それも大半が民間人です。その上、原子爆弾の効果を測定できるように、日本の投下予定地に対しては、空爆を避けています。長崎と広島、世界の中で、このような酷い一瞬での大量虐殺があったでしょうか?民間人も学徒動員、大政翼賛会などを通して後方支援要員としての役割がありますが、戦争は、あくまで軍人同士が戦うものです。国と国との交戦は認められていますが、戦争にもルールがあります。しかし、戦勝国はルールを無視した行いをしても正当化されてしまいます。東京大空襲では、大量の焼夷弾が使用され10万人以上の死者が出ています。これなども戦争ルールを無視しています。http://www.youtube.com/watch?v=5yJLhZescY8

 焼け野原の模型のところに立っていた女性のボランティアガイドの方としばらく話をしました。彼女の母親も被爆者で酷い火傷を負いましたが、疎開して治療を受け命は助かったそうです。生死の分かれ目は、微妙なところにあるようです。彼女の母親は終戦後、進駐してきた米軍に被爆者として定期的に呼び出され、症状の検査をされたそうです。米軍は、被爆の症状をチェックしデーターを収集するのみで、治療は全くしてくれなかったそうです。

 日本人の医師団もそのことに協力し、被爆者のデーターを英文に翻訳して米軍に差し出したそうです。これは、宇野正美さんの話と一致します。 外国人の姿も多く見受けましたが、彼らは一体何を感じたのでしょうか?

 国立広島爆死没者追悼平和祈念館では、国民義勇隊の企画展が開催されていました。悲惨な戦争の実体が見てとれます。子供たちまでが、一瞬のうちに命を奪われいます。それも跡形も残すことなく、また影のみを残した人も。

 

国民義勇隊・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E7%BE%A9%E5%8B%87%E9%9A%8A           

  http://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00615.php

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