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16年前、神戸大震災にサリン事件に選挙 2011.01.28.

 16年前の今頃、市議会議員選挙に出るかどうか考えていました。その頃は、山梨で阪神淡路大震災を体感し、自然の恐ろしさを知り、その後に、オウム真理教の地下鉄サリン事件が起こりました。世の中騒然としているところに、統一選挙。東京都知事選では、新人の青島幸男・意地悪ばーさんが、並み居る候補者を引き離し圧勝しました。また、大阪では、横山ノックが当選し、無党派の嵐が吹き、既成政党には逆風が吹きました。

 その年の3月3日の西日本新聞の記事を読んで、「これだ、と思い。」記事にあったサラリーマン新党の市議会議員を探し出して、大野城市まで会いに行きました。この方は、お金のかからない選挙を目指し、後援会組織を全く組織せず、選挙スタッフは、本人と本人の奥さん、本人の弟の三人で選挙カーを回し、ウグイス嬢も無く、他の運動員も全くいなく、選挙事務所を持たない選挙を展開している現職の市議会議員でした。選挙カーで回るときは音楽を流し、要所要所で立会演説し、選挙ポスターも告示の日から自分たちで一ヶ所一ヶ所づつ貼り、そのポスター掲示板の前で演説すると言うスタイルをとっていました。

 最初の選挙では、出馬にあたり福岡県知事がいつも自分の選挙でお世話になっていると言って、知事選時のウグイス嬢を貸してくれたそうです。しかし、その選挙スタイルを目の当たりにして、一日で自分の出番が無いと言い、二日目からウグイス嬢は車を降りたそうです。(これでは、恥ずかしくて落選間違いなしと思ったのかも・・・・・?本人の弁)

 選挙戦4日目には、新聞記者が訪れ、当選圏内に入っているので、当選の前撮りをしたいとのことでしたが、まず、選挙事務所が無い、支援者がいない、ダルマも無いとのことで、記者が大宰府でダルマを買ってきて、選挙カーの前でダルマに目を入れる写真を撮ったとのことでした。

 選挙時のたすきも古臭いとばかりに、新聞記者の提案で前後ろのゼッケンやネームプレートにしたそうですが、これらは名前が見えにくいとのことで、古いたすき型に戻したことも。

 選挙カーは自前で、選挙カーの看板はナフコから材料を買ってきて手作りでした。選挙事務所も無し、運動員も無し、後援会も無しの無い無いづくし。しかし、選挙ポスターだけは重要で、これにはお金をかけたそうです。その結果、毎回の選挙費用は、30万円以下で終わったそうです。

 その選挙スタイルに共感する候補者が各地から出てきて、「選挙を50万円以下でする会」なるものも出来ていました。

 訪ねてみると私の大学の先輩でもあり、半日にわたり体験談やパンフレットの作成法、演説の指導などを受けました。私の置かれている立場も話し、その上で先輩が背中を押してくれ、日田市議選への立候補を決意しました。

 私の父も、最初の市議選では、自宅の一室と駐車場を選挙事務所にし、選挙責任者は母、出納責任者は妹、選挙事務と選挙カーの運転手は私、選挙立会人は近所の元警察官、後援会は無し、地元自治会推薦も無し、政党組織団体の応援・支援も無し、市内の親戚も無しの無い無い尽くしの草の根選挙でした。

 最初は、次々点で当選ラインに届きませんでしたが、得票差は僅かの50票ほどの差でした。その後、その選挙スタイルや考えに共感する人の輪が広がり、その後、2期連続当選を果たしました。2回目、3回目の選挙で変わったのは、選挙責任者が母から近所の元警察官に代わったことぐらいで、後援会無し、地元推薦無しは、どの選挙でも同じでした。

 その父が、会派(市政クラブ)の行政視察中に視察先の犬山市のホテルで倒れて、その二時間後に息を引き取りました。その時には、同行していた同僚議員の方や随行職員、日田市の議会事務局職員、犬山市の議会事務局の方たちに大変お世話になりました。特に、犬山市の議会事務局の方には、遺体を九州まで搬送する際に、手際よく手続きを済ませていただきました。後で、犬山市にお礼の電話をした時に、「慣れているんです。実は、おかしな話ですが、お宅のお父さんで三人目ですから。」と、行政視察中に急逝した市会議員は、私の父が三人目だったことを、打ち明けてくれました。急逝した時、市議2期目で、任期を1年2ヶ月余り残していました。

 葬儀には千人以上の方に会葬していただき、中には「お父さんの跡を継ぎなさい。応援しますよ。」と、声をかけてくれる人もいました。母方の親族からは、私の喪主挨拶を聞いて、「跡を継いで、選挙に出ることを考えたら駄目よ。家族が大変だから。特に、奥さんが。」と、経験をもとに諭してくれる叔母もいました。叔母は、私の祖父の村議、村長選挙をまじかで見てきたからでしょう。祖父は、戦後、村長を公職追放され、歯科医に戻りましたが・・・・・・・。

 そうして、一年間経過する間に、果たして保険代理店の業務と市議会議員としての職務が両立できるか、保険大学や九州平成義塾などに参加して、日田を数日間離れても保険代理店業務に支障が出ないか試してみました。

 市議選の告示が近まるにつれて候補者の顔ぶれが揃ってきます。その顔ぶれを見ていて、すべての候補者が、組織か団体、自治会などの推薦で後援会を組織して出馬する姿を見て、「父の後継者は、私しかいない。」とのもとに出馬を決意しました。

 父は三本松新町に居住していましたが、私は石井町で借家住まいで地元出身ではありませんでした。しかし、地元の選挙には全くの素人の方々に応援して頂き、父の支援者の輪も広がり、当時、石井地区を含む五和校区は、私を含めて3人の候補者がいるなか、無事当選を果たすことが出来ました。

 最初は、家内の反対に合い、私自身一人で選挙カーを運転し、一人で選挙をするつもりで、ポスターなどの用意を進めていました。

 最初の父の選挙から、もうすでに7回の選挙を数えます。私も市議4期目を終えようとしています。私も父同様に、後援会を組織せずに、団体の推薦を受けずに、人と人の繋がりで草の根選挙をしてきました。

 最近は、名古屋市や阿久根市などの騒動で議員に対する風当たりが強くなっています。議員として議会の中を見渡してみると、チェック機能を果たしていない議員の多さに目を覆いたくなります。世間の風当たり強くなり、批判を浴びるのも当然でしょう。既に、候補予定者は、旧態然としたあいさつ回りを始めていますが、日田市政発展の為の施策を訴えている議員は、一体何人いるのでしょうか?

 議員年金も槍玉に上がり、廃止の方向で進んでいます。当初は、掛け金の40%をカットして、60%の一時金で済ますとの案も出ていました。今は、20%カットになっていますが。報酬も日当制にすべきだとの意見もあります。定数削減も話題の上ります。定数が減れば、組織を待たない人の当選は覚束なくなります。議員年金も無く、日当制で収入が減少でもすれば、若い者で議員に立候補する人は、家がお金持ちで別収入がある人、奥さんが働いて共働きで別収入がある人などに限定されてしまいます。(議員年金制度の現状・議員活動の資料・・・http://www.soumu.go.jp/main_content/000024449.pdf )

 実際に日田市議会でも、配偶者が公務員と言う議員がかなりいます。また、高額年金受給者や公務員退職者もかなりの数です。国民健康保険税の問題や認定こども園の問題など、本当に市民生活を理解した上での判断をしているのかとも思います。

 新型インフルエンザ、鳥インフルエンザ、口蹄疫、異常気象、霧島連山の新燃岳の噴火、政治の世界の混沌、世界同時不況回復の遅れ、学校を出ても仕事が無い、リストラ、格差社会の拡大、現状の農業や経済体系を破壊するTPPの問題等など・・・・・・、数え上げれば数え切れないほど、多くの問題が私たちの周囲に存在します。

 問題点を共通認識で考えられる仲間を見つけ、今必要なのは何か、今一度考えてみる必要があります。

阪神・淡路大震災・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E3%83%BB%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD

オウム真理教地下鉄サリン事件・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

東京都知事選で青島幸男・1995年選挙・・・http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/1995%E5%B9%B4%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E7%9F%A5%E4%BA%8B%E9%81%B8%E6%8C%99

 

 議員年金に関して・・・市議会議員年金制度の安定的運営の確保に関する決議
 地方議会議員の年金制度は、40年を超える歴史を有し、退職後の議員及びその遺族の生活の安定を図る上で大きな役割を果たしてきている。
 しかしながら、市町村議会議員の年金財政は、近年急激に悪化し、平成23年には積立金が枯渇し、破綻が確実視されている。
 これは、平成の大合併の大規模かつ急速な進展等により、年金財政の支え手である市町村議会議員が短期間のうちに4割減少するとともに、年金受給者が2割増加したことによるものである。
 市議会議員年金では、議員が1割増加したものの、旧町村議会議員としての年金受給者の受入れ等により年金受給者が2倍以上へと大幅に増加し、1人の会員が3人の受給者を支える、極めて不均衡な状態にある。
合併特例法では、このような合併の進展に伴う市議会議員年金財政への影響に配慮するため、「その健全な運営を図るため必要な措置を講ずるものとする」と規定しているところであり、平成18年の地方公務員等共済組合法の改正では、自助努力の限界ともいえる掛金の引上げ、給付の引下げを行うとともに、合併特例法の規定に基づく激変緩和措置が講じられたところであるが、この激変緩和措置では市議会議員年金財政の安定化を図るためには不十分であったと言わざるをえない。
 よって、国においては、国策として推進された市町村合併に身をもって協力した市議会議員の強い思いを厳粛に受けとめ、その責任において、将来にわたり安定的な年金給付が可能となるよう、早急に、合併特例法の規定に基づく激変緩和措置を強化するなど市議会議員年金制度の安定的運営の確保に向けた適切な措置を講ずるよう強く求める。
以上、決議する。

平成21年2月10日
                                   市議会議員共済会

 

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