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震災に会い異郷で日常を取り戻す 2012.01.24.

 今日のフェイスブックのなかに知人の息子のお嫁さんが仙台市で東北大震災にあい、異郷の地「うきは市」で日常生活を取り戻したとの新聞記事が出ていました。喜ばしいことですが、ここに至るまでの過程を知っているだけに、喜んでいるばかりではいられません。

 

 実は、彼女の夫の両親の故郷は日田市なのです。それで震災に会い仙台の自宅は半壊状態で水道も電気もストップ。敷地内の小屋に布団を敷いて寝る状態。限界を感じ、やっとの思いで震災から5日後に山形空港から羽田経由で福岡空港へ。そして両親のいる日田市に戻ってきました。その後、何度か仙台に戻り元の生活をと考えたそうですが、子どもが相次ぐ余震におびえ、また、福島原発の放射能の子供への影響も心配で、夫の両親が住む日田市で生活する決意をしたそうです。彼女自身は仙台生まれの仙台育ちで、夫も関西育ちです。

 

 日田市に在住するためには、まず住居の確保と仕事に就くための子どもの保育園探しがあり、日田市役所に足を運んだそうです。しかし、市役所の窓口を訪ねても「担当は内ではありません。別の課に行って下さい」「震災の関係であれば、罹災証明書を持ってきて下さい」「市営住宅の入居は抽選です」「保育所に入園するなら・・・・・・」などなどの対応で、夕方まで市役所内を「たらい回し」で、収穫は全くのゼロだったそうです。

 

 その後、福岡県が震災の被災者に公営住宅を提供していることを知り、応募すると即入居できました。それに保育園も、「罹災証明書」も必要なかったそうです。

 

 日田市役所での冷たい対応は何でしょうか。隣県のうきは市と格段の違いです。市議在職中の3月議会開会中に大震災が起こりました。この震災で被災者が出ることが予想されるので空き住宅の対応などを常任委員会や最終日の本会議場で指摘していた筈です。

 

 最近も、市民からあることで「市役所内をたらい回しされた」と怒っていました。旧態然としたセクショナリズムが未だに蔓延っています。岐阜県の関市の例などを挙げながら市民サービスの向上を求めてきましたが改善されません。新市長になって対応が変わるかとなっていましたが、そうでもないようです。これから、改善されるまで市民が指摘する問題点を改善できるまで、二つのブログをメイン(全部で六つ)に、フェイスブック、ツイッタ―で拡散したいと思います。

 

 議員在職中に色々な自治体に足を運びましたが、好印象が残る町は自治体職員の認識が違うようです。自らが他人の事を思いやる気持ちが自然と言動に現れるようです。土地柄もあるのでしょうが、・・・・・。

 

 

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